絹のお話1

二部は、こずえちゃんと私、それぞれのステージをお送りしました。
 
私は絹のお話を(*^o^*)
 
1はじまりの港
 
今回、横浜の港にちなんで、サンバを創らせて頂きました。
横浜スカーフが浮かび、こんな柄のスカーフがあったら面白いかなあという発想でした
 
横浜と絹。それは、幕末、港が開港し、蚕の病が流行っていたフランスから需要が出たことから始まります。
 
もともと、中国から絹が日本に伝わったのは弥生時代
ふるいっ!
 
しかし、その技術が中国と遜色なくなるのは江戸時代。
 
中国は高い技術を誇って追随を許さない為に、古来もシルクロードが成立した。
 
日本でも、農閑期の大切な産業にも関わらず、鎖国の江戸時代を待たなければならなかったんです。
 
当時、桑都と呼ばれ、絹の産地だけではなく重要な集積地となったのが、八王子です。
 
八王子から江戸に向かった正規の流通ルートから、幕末、横浜と直接やりとりするルートが出始めた。
八王子商人達は、成金のようになる者も現れた。
 
このルートが、日本の絹の道、シルクロードと言われています。
 
八王子には徳川の始め、千人同心という組織がもと武田の家臣中心に作られ、置かれました。いざという時に、幕府の為に働く組織。
まだ様々な大名の影響力が残っていた土地であり、幕府にもしものことがあれば、甲府におち、再起を狙えるようにという目的もあったそうです。剣術なども奨励されていました。
 
このような土地柄と、幕末、財力をつけた八王子は、新撰組を生むことになります。
 
さて、横浜の絹商人としてだけでなく、銀行、商業を盛り立て、やがて政治の世界にも貢献した人物がいます。
 
原善三郎。
 
彼は、八王子の人ではありません。関東近郊から絹を運んだ商人です。彼の出身地は、さあどこでしょう?
 
群馬の桐生
茨城の結城
栃木の足利
埼玉の秩父
 
では、次に歌ってみたいと思います。