横浜物語〜馬のお話3〜

さて、横浜と馬の関係が始まったのは、明治の開港以降だったのでしょうか?
いえ、実はとても深く古いのです。
 
現在の本牧に、本牧神社があります。
 
伝説によると、鎌倉幕府を開くとき、源頼朝が、鬼門だったこの地に朱い厨子を奉納し建てたそうです。古くから切り立った崖と、鎮守の森信仰の森を持ち、景勝地だった本牧の海岸は、海の難所でもありました。
 
この神社には室町時代から430年続いているお馬流しという行事があります。
 
実は、鎌倉時代には、この辺りで軍馬を放牧し、亡くなった馬を、無病息災や、戦勝祈願で海に流していたのが由縁ではないかと。さらに本牧の牧は、そこから来ているのではとも…
 
現在は、首が馬で体が亀のお馬を茅で作り、海に流します。お馬がかえってくると縁起が悪いそうで、実際、関東大震災の時はかえってきたのだとか…
 
かえってこないように、旧暦では大潮の6月15日だったそうですが、現在は8月の第一か第二の日曜日に行われます。
 
さてさて…
 
伊勢佐木町でお祭りの話をしたのに、触れないわけにいかないお祭りは…
 
客席からお声が出ました…さすがです!
 
お三の宮祭り!
 
9月に(本祭は奇数年)行われるお祭りです。
 
かつて海だった伊勢佐木町。埋め立てたのは江戸初期、江戸に出て財をなした材木問屋の吉田勘兵衛で、吉田新田の由来です。
 
さて、勘兵衛の工事は、大岡川の氾濫で一度振り出しに。神仏への信心が足りないのだと、勘兵衛は、赤坂の山王社に詣ったあと、身延山へ。ここで、お三という女性に出会います。
 
お三は江戸の大火で両親を亡くし、婚約者も敵に殺された女性。勘兵衛は江戸に身内として連れ帰って、敵を見つけ出し、助太刀します。
 
本懐を遂げたお三は、恩返しにと、工事の人柱に立つことを申し出ます。当時は、女性が人柱に立たないと、祟りがあると言われていました。止める勘兵衛ですが、お三は自害までしようとした為、申し出を受け入れました。
 
お三が工事の成功を祈って海に身を投げた場所に、勘兵衛は日枝神社を建てます。この辺りが海だったというのは、横浜の中心地がかつては海だったという証拠です。
 
これがお三の宮。これはお話で、山王社の分社でおさんのうみやからお三の宮になったとも言われますが、浜っ子には、このお話が愛されているそうです。
 
さて、この御輿は大変大きく、担ぎのプロは神田祭三社祭に加勢に行くのだとか…お祭りの賑わいも、これらに引けをとりません。
 
お祭り大好きな浜っ子たち。
 
最後は、横浜の生んだ歌姫、美空ひばりさんのお祭りマンボ
 
4.お祭りマンボ
 
松村さんが、この歌を歌うことがわかっていたら、車やさんを歌ったのにと言って下さり、残念でした〜津軽三味線の名手で小唄も唄われる松村さん。ぜひいつか、贅沢にもお聴きしたい…
 
できたらまたいつかご一緒させて頂きたい、そのときは…と、また1つ夢が出来ました(*^o^*)
 
次回についてはまたアップします!お読み頂いてありがとうございました