そして

いざ開港となると、商人達がやってくる。西洋人は本国からより、むしろアジアから移ってきた。

中国人の部下も連れてきた。

実質的なマネージャー業務をやっていた買弁(バイベン)、職人たち。いくら日本人が器用でも、すぐに技術はないわけで、西洋のものは、多くは中国人が最初作り、それに習って独立していった。そして出来たのが元町。中華街に近いはずですよね。

中国には科挙がありましたから、落第したエリートが買弁になる事も多かった。パリやニューヨークなんて知らなかった日本人にとって、最新流行の街は南京。優秀な中国人に憧れをこめて、南京さん、中華街を南京街と呼んだんだそう。

ピアノなんて複雑な技術はもちろんすぐ修得できない。周ピアノと李ピアノという工場があり、沢山の技術者を育て人気もあったのですが、震災や戦争で、後継者は亡くなり途絶えてしまいました。今でも、老舗萬珍楼には、二台のピアノがあります。

♪夜来香