野毛の物語???

船の時代、横浜は日本の玄関。戦前に流行ったジャズは、戦中に敵性音楽として取り締まりを受けるものの戦後は、米軍が駐在して、より本格的に入ってきます。

米軍キャンプを回ったミュージシャン達が、その後の日本のジャズを牽引していくそうそうたるメンバーになるのですが、ひばりさんと三人娘だった雪村いづみさん、江利チエミさんも腕を磨いた方々でした。

という事で、次は江利チエミさんの代表曲です。

?テネシーワルツ

1982年、45歳の若さで謎の死を遂げたチエミさん。
55歳で亡くなったキャンディーズ田中好子さんも若いと感じるのですから、周囲の衝撃はいかばかりだったかと思います。

スターにスキャンダルと孤独はつきものですが、ひばりさんも例外ではありません。
ステージママ、ご両親の離婚、自らの離婚、弟の不祥事など様々マスコミにたたかれながら、家族の絆を大切にされました。ひばり御殿という大きなお家も立ったそうですが、地元には色々あったのかもしれません。

不思議と、京都にはあるのに、横浜に記念館が立っていないのです。

それでも、ひばりさんは歌の世界では、横浜を歌い続けました。グループサウンズの時代には、時流にのって異色のナンバーも歌われています。


?港町十三番地(正確には川崎がモデル)
?真っ赤な太陽
(シャープス&フラッツの原信夫さん作曲。ブルコメとの共演が話題に)

1989年、平成元年、太陽が落ちました。
戦後の闇市から出発し、昭和の終わりと共に生涯を閉じた美空ひばりさんは、まさに昭和の太陽でした。