手紙

今日は、何人かに手紙を書いた。

手紙は、小さい頃から好きだった。

小学校三年生の時に、仲良しが転校し、文通をずっとやっていた。だから、わりと手紙は習慣だった。

彼女は大人びた子だったので、内容もずいぶん早くから恋愛関係で、三角関係だの、付き合うだの書いてあり、お子様な私はずいぶんこれまた、戸惑いながら、楽しく読んだ。

大好きな鳥が病気になって心配で、手の平で温めて看病したという彼女のエピソードは、いまだに忘れられない。私は、いったい何を書いたのか、さっぱり覚えていない。

書く楽しみは、書く前から始まっている。

まず、どういう便箋を選ぶか。何色のペンで書くのか。どんな切手を貼るのか。シールはどうするのか。

毎月一回は書く約束だったので、レターセットコーナーにはずいぶん通った。

中学生になると、どういうわけか、女子同士というのは、ノートの切れ端をいろいろな可愛い形に折って、手紙を書いたりもらったりしたので、これまたずいぶんたまった。

だいたい友情もの。あとは、先輩後輩で、よく書いたりもらったり。

高校時代は、やたらサバサバした女子校で、そんな記憶はない。端からすれば進学校という名のかなりのハッスル校で、静かに手紙を書くというよりは、お祭り女揃いだった(今は知らない)校風に違わず、私も駆け回って、歌いまくっていた。

大学の頃には携帯が普通にあって、本当によく話して、また帰ってきても電話していたが、手紙は書いた。

そして覚えているのは、私はあまりメールをしなかった。情報処理に力を入れてる学部なのに、メールに抵抗があった。携帯メールはほとんどやらなかった。

メールは怖かったから。

メールをするようになったのは、この世界に入り、仕事をするようになってからだ。やっぱり、すぐに返事が欲しいし、電話する時間が無い。

ようするに昔は暇だったんだけど、今もよく手紙は書く。お芝居のDMがあるからだけど、それも、やっぱりパソコンじゃなく手書きでないと失礼な気がする。そしてそれは、苦ではない。


手紙は、秘密の匂いがする。だから、書くなと言われたりしたこともある。でも、手紙でしか出来ないことがあって、メールには出来ないと私は思う。

ただ、メールならば消せるが、手紙は残るという事もある。じゃ、消えるからひどい言葉を使っていいのかというと、それは絶対に違うのだけど。

昔、友達がどうしても伝えたいけど、残ったらまた嫌かもしれない内容だからと、感熱紙に書いて手紙をくれた事がある。ちっともきつい言葉じゃなかったけど、私は色々な意味で、彼女に感動した。

手紙を捨てられない私は、まだとってあるが、確かにその手紙はもう白紙になっている。でも、彼女の優しい気持ちが、その紙から伝わってくる。