海を見ていた午後

1960年後半になると、大きなコンテナ船が入るようになり、埠頭も整備され、人足は不要になりました。

港も少しずつ、賑わいが失われていきます。

東京オリンピック、新幹線…

時代が新しくなっていく転換期の1970年、三島は割腹自殺を遂げます。

戦争を挟んで生きた世代、直後に生まれた世代は、激変する社会の中で、様々な価値観に揺れ、様々な生き方をしたのだと思います。

三島由紀夫は、その象徴的な作家の一人ではなかったかと思います。

さて、an・an、non・noが創刊されたのも1970年。

アンノン族と呼ばれ、雑誌を片手に、旅に出る女性達が現れました。

それまでは、会社の旅行や家族旅行が主で、女性がグループや一人で旅に出ることはなかったそうです。

それからしばらくして70年代後半。JJ族と言われる女性達が登場。都会に住む若奥様ファッションにブランド品を融合させたスタイルが、神戸発のニュートラ

これを定着させた雑誌JJが、都会に住むお嬢様に向けて発信したのが、ハマトラ

横浜に明治から続く老舗の品で、女子大生向けにスタイルを提案。

ミハマの靴(ペタンコ)

フクゾーの服

キタムラのバッグ

三種の神器と言われました。横浜は女子大のメッカです。

坂が多いため、かかとの低いカッターシューズ、動きやすいポロシャツやトレーナー、ギャザー調のスカートなど。

このスタイルが非常に人気になり、女子高生にまで広がりました。

以後、ファッションは景気の波に合わせて、セミタイト、ボディコン、デルカジ、ロマンティックと変わっていきます。

音楽も変わっていきました。ビートルズに影響されたGS、反戦を訴えたロック、フォークなどと違う、また新しいシンガーソングライターが登場。

眺めるスポットとなった港を、実在する喫茶店からお洒落に描いた名曲です。

ユーミン
「海を見ていた午後」