横浜物語〜馬のお話1〜
1.プレイバックパート2(山口百恵)
なぜにこの選曲!と激しく突っ込まれそうな選曲(笑)
実は、先日、松村さんに真っ赤なドレスを頂いたんです。
私もエンジに近い赤はあるのですが、頂いた赤は、潔い赤なんですね。カッコいい!
頂いた途端に、この曲ともう一曲浮かんだのですが、もう一曲は季節に合わないので、真っ赤なポルシェの(笑)この曲を。
百恵さんは横須賀、宇崎竜童さん&阿木耀子コンビは横浜ということもあり〜
さて今回は、じゃじゃ馬の運転するポルシェならぬ、馬がテーマ(*^o^*)
馬といえば、まずは馬車。明治の開港後、外国人がもたらした乗り物です。馬車が走りやすいように、石畳が敷かれ、今でも馬車道を始め、野毛などにも名残が残っています。
駕籠しか知らなかった日本人は、最初は珍しがっていました。が、東京まで1日かかる道のりを、オーストラリアの貿易会社が二時間二ドルで走る乗り合い馬車のビジネスを始めると、利用するばかりでなく、対抗して始める人も現れました。
しかし、鉄道の普及によって、あっという間にこのビジネスはなくなってしまいました。
さて、もう一つは競馬です。
今ある根岸森林公園は、日本初の本格的な競馬場だった場所。
現在残っているのは、アメリカによって昭和5年に建てられた建物。が、もともとは、居留外国人で一番勢力があったイギリス人が、競馬が大好きで、作られました。
競馬が大好きになった日本人の代表が明治天皇で、山元町には、御幸を迎えて土下座する人々、政府の高官、貴族などで行列になったそうです。特権階級が集まっていましたが、市民も柵の外や木の上から眺めただけでなく、お店を出すなど格好のアルバイト先だったそうです。
昭和44年に返還されると、一部の人のものでなく、市民の憩いや避難場所にもなるようにと、公園になりました。
そして、次はエディットピアフの私の回転木馬なのですが、木馬…そう、幻の遊園地が、鶴見にありました。
このお話は歌のあとで