横浜物語3

さて、交渉で非公式に、当然の条件として作られたあるものがありました。

現在の横浜スタジアム15000坪という広大な敷地を使って作られたのは…遊郭です。

ここで一際隆盛を極めたのが「岩亀楼」そして、芸も器量も随一といわれたのが「亀遊(喜遊とも)」という太夫

当時、外国人専門と日本人専門の遊女は分かれていて、混同は厳しく禁じられていました。

しかし、亀遊の評判は外国人の目にとまり、身請けしたいとお金を積まれ、異例にも奉行所から、接待命令が出ます。

亀遊は懐剣で喉をかききり、自害してしまうのです。

「露をだに厭うやまとの女郎花(おみなえし)
降るあめりかに袖は濡らさじ」
(露に濡れる事さえ嫌う日本の女郎花ですもの、降る雨=アメリカに袖なぞ濡らしてたまるものですか)

辞世の句と言われていますが、攘夷派の志士が作ったのではと言われています。

しかしこの句は、当時の人々の心にわき起こっていたナショナリズムにあいまって、大流行してしまいます。

有吉佐和子さんの戯曲にもなっていて、玉三郎さん、藤山直美さん、杉村春子さんなど主演されています。

遊郭は明治半ばには火災で全焼、のちは防火帯として横浜公園になりました。