丘の上のエンジェル

ベトナム戦争が終わり、本牧基地が1982年に返還されると、横浜からアメリカ色が消えていきました。女達も普通の暮らしに入っていく中、一人スタイルを貫くメリーさんに、メディアの注目が集まります。

横浜在住の作家、山崎洋子さんもその一人。
「君の小説にはブルースが足りない。ハマのブルースを聞け」と言われ紹介されたのがエディ藩。

GS時代、長い髪の少女などのヒットで知られるゴールデンカップスの名ギタリストで、横浜ホンキートンクブルースの作曲者です。彼は洋子さんに、歌詞を書いてくれと頼みます。

それは混血児たちの慰霊歌。外国人墓地というと、山手を想像される方も多いと思いますが、根岸に一般の方を対象とした墓地があります。そこに900を超える嬰児達が埋葬されているというのです。

メリーさんの子供達。山崎さんはそう思ったそうです。

基地のあった時代の本牧は、東京よりもどこよりも最先端の憧れの土地。クラブ、ゴールデンカップでスカウトされた5人の高校生は、スキルやセンスは勿論、ハーフのような風貌。かつて差別されたハーフがもてはやされる。

エディ藩は、中華街の老舗、鴻昌の一人息子で生粋の中国人でしたが、プロフィールを変えられました。しかもGSの人気はあっという間に終わってしまったのです。

この歌を歌ってよいのか悩みましたが、歌わせていただきました。

この辺りの事情は

山崎洋子
「天使はブルースを歌う」
「横浜B級ラビリンス」

などで詳しく書かれています。丘の上のエンジェルは、ハマっ子じゃん市場で、ネットで取り寄せられます。またエディ藩はソロで

「BLUE JADE」(横浜ホンキートンクブルース収録)

というアルバムを出していて、私は完全にハマりました。かっこいいです。それに、彼にしか歌えない歌を歌っています。