桃色吐息

いつからかオンリーでなくなったメリーさんは、街娼として街角に立つようになりました。

1945年5月の大空襲で、横浜は壊滅状態。8月の敗戦で、マッカーサーは厚木から横浜にやってきて、街を接収しました。ホテルニューグラントは軍の司令部。公園は小型飛行場。

そして関内関外の辺りは、カマボコ型兵舎が立ち並んで、沢山のアメリカ兵がやってきた。

この時、日本との戦争に参加していない兵士が選ばれたそうです。

日本がやったことは、明治の開港当時と同様、商売筋の女性を集めて慰安所を作ること。呉楽荘というアパートに80人。しかし、押し寄せた兵士は数千人。大混戦から殺人事件にも発展し、すぐ閉鎖。

とはいえ、戦地から帰った男性は、怪我や病気。最もお金になる外国人相手の娼婦の数はどんどん増えていきました。
ハードな生活から、ヒロポンの常習者も増加。性病も蔓延し、厳しく取り締まられますが、いたちごっこ。街で客を引く街娼は命がけでした。

敗戦後だけでなく、朝鮮戦争ベトナム戦争などで駐屯するアメリカ兵が増えた事が、皮肉にも横浜や横須賀の繁栄をもたらしました。基地のあった本牧、繁華街の伊勢佐木町。中華街も、クラブやキャバレーで賑わいました。

徒党を組む娼婦達の中、メリーさんは唯一人、宝塚のようなドレスで立っていました。当時のあだ名は、皇后陛下、きんきらさん。

服装やプライドの高さもありましたが、若い子の中に立っても、冒しがたい不思議な気品が漂っていたそうです。

彼女が立っていた根岸屋や当時の横浜の様子は、黒澤明監督の天国と地獄で見ることが出来ます。また、彼女は横須賀のドブ板通りにも立っていたそうです。

つらいことだらけと思いますが、彼女たちはどんな思いで夜を生きていたのかなと思って、横浜や時代と関係なく選びました。歌詞が、切ないです。