横浜物語〜フランス月間〜絹のお話

さて、横浜〜水といえば…横浜は海の街。では、フランスの首都パリはといえば、

はい、

河の街。セーヌ河をぐるりと囲んで街が出来ています。ということで、次は、パリの風景が見えてくるような

2パリの空の下

さて、4月にがっつりお話しましたが、フランスと横浜を繋いだ大きなきっかけの1つは、絹でした(詳しくは4月30日のブログに)

フランスが最大の輸出国だった時もあるそうです。(なお、横浜市の友好都市は、リヨンだそうです)

日本の女子が沢山紡績工場で働いたように、パリの仕立て屋には、沢山のお針子さんが働いた…余談ですが、テレーズラカンのお家も、仕立て屋さんでした…

というわけで、季節にもちなみ

あじさい娘

開港後、憧れを持って沢山の人々がパリを訪れます。パリ万博なども開かれ、時代の先端を行く都市。
豪華でお洒落な芸術的雰囲気を持つ街は、今なお私達をとらえてやみません。

しかし、当時、これから新しく国を作っていこうとしていた明治の人々にとっては、もっと別の意味で、関心が高かったのではと思います。それは、商人や政治家、軍隊が、相手国として出方を見るのとまた違う意味で。

大佛次郎は、パリ四部作として、当時のパリをモデルに小説を書いていますが、革命を成功させたあと、政情が安定せず模索している国の動向は、国を模索する明治の人々の大きな関心だったと思うのです。