横浜物語〜フランス月間〜水のお話

今日の横浜物語は、フランス月間。

6月2日〜7月15日まで、横浜はフランスとの交流を記念して、様々なイベントを開いているそうです。なので、私も、大好きなフランスと横浜を繋ぐお話をしてみたいと思いました。

1港がみえる丘

最近歌い続けているので、外そうかと思いましたが、やっぱり外せない!なぜなら、この公園に至る散歩道こそ、かつてフランス軍が駐屯し、領事館があったフランス山だからです。

領事館は1947年に焼失、以後、横浜市が買い取るまで、フランスが所有した土地でした。

公園内には、イギリス領事館もありますが、横浜の開港当時は、赤い軍服のイギリス軍と青いフランス軍が、睨みを利かせた土地だそうです。見晴らしがいいということは、今でこそ、観光スポットですが、重要な拠点争いの条件だったというわけです。

今なだらかな歩道橋も造られ、フランス橋と言われています。
また、パリのレ・アルという中央市場から、取り壊しが決まった鉄骨をもらいうけ、青く塗られてオブジェになっています。

さて、公園を左手に谷戸坂を上っていきますと、様々な西洋館の先に、元町公園があります。

ここは、実はかつては、公園ではありませんでした。海の近くの横浜は、塩水が多い。この山手からは、綺麗な湧き水が出る。

これを利用し、外国船の船舶に飲料水として売ったのが、フランス人実業家、アルフレッド・ジェラール。

インド洋まで腐らないと言われたそうです。

彼は、瓦やレンガも手がけ、良質なジェラール瓦として評判になりました。大半は関東大震災で倒壊し、今では根岸の中華義荘(中国人のお墓です)の屋根に見ることができます。西洋人だけでなく、中国人にも使われたことが、品質への信頼を物語っています。また、フランス山を始め、元町公園、横浜の至るところから、やはりジェラール瓦が出土しています。

彼の工場は、ジェラールの水屋敷と言われました。彼は50を過ぎて帰国し、故郷ランス市で亡くなっています。地元の美術館に、日本での収集品を寄贈し、ジェラールコレクションと言われるそうです。

相続人は、ここを映画の撮影所としましたが、関東大震災で倒壊後は、横浜市が買い受け、水槽をプールとし、公園にしました。

現在、プールはありませんが、水を生かした泉やモニュメントが造られ、ウォーターガーデンと呼ばれています。

さらにここから北に進んだ住宅街の中に、ジェラールが使っていた貯水槽があり、今なお、こんこんと綺麗な水が湧き出ています。

この水はビールに適していまして、様々な国の方々の手を経て、キリンビールとなっていきました。丘の反対側に工場があります。