ニューヨーク暮らし ゴスペル編 1

さて、ゴスペルワークショップに参加したと書きました。

お宿の管理人さんであり、ワークショップのコーディネーターの公子さんのお誘いで、夜の特別な礼拝に入れていただけました。えみこちゃんと伺いました。黒人さんしかいなくて、びっくりしましたが、赤ちゃんからお年寄りまで、和気藹々と集まる憩いの場に混ぜていただけて、すごく貴重でした。

お隣の方、タンバリン持参?!

始まる前に、ゴスペルがあったのですけれど、厳粛なものを想像してた私は、完全に裏切られた。ロックのライブかと思った。ドラムとキーボード、ガンガンで、ソロの人はシャウト、あとはみんなで、歌っていく。こりゃ、タンバリンいるわ、と思った。

そのあと、ゴスペルに合わせたプレイズダンスと、ゴスペルマイムというのを観ました。これが、感動でした。
プレイズダンスは、30人くらいの子供から大人まで、魚の群れのように、美しいダンスのような動きでした。
ゴスペルマイムというのが、歌詞に合わせた、完全に自由な動き。顔と体が白塗り。信仰が心にあるので、表情なども引きつけて離さない、何か超えてしまったものがありました。

そして、牧師さんの話も驚きだった。英語は正直、よくわからなかったのですけれど、最後の方から、ラップのようになり、キーボードとドラムが入って、聞いている人達含め、シャウトしていくのです。

もう衝撃でした。

お寺など、自己を見つめる時間を個々にいただく感じがするのですが、ここではひたすら、解放し、共有していくのだと思いました。

文化をふと感じ、思わず、アフリカだったらどんな感じなのだろうと、思いました。

すると、ある友達が、セネガルの帰らずの扉のことを教えてくれました。彼女はクリスチャンで、ボランティア先のアフリカ人と結婚している人です。

私は何も知らなくて、ネットでみて、愕然としました。アフリカ大陸から、奴隷貿易アメリカ大陸に連れて来られたブラックの歴史。その扉を通った者は、二度と帰って来られないという。負の遺産として、世界遺産にもなっているそうです。知らなくて、恥ずかしかった。

その歴史もさることながら、このNYが移民の街であること、観劇したOnce含め、ルーツというものを考えさせられた。

そしてブロードウェイで、ライオンキングやアイーダを上演されていることに対して、別の角度から感じるものがありました。観てみたくなりましたね。ちなみに、ライオンキングはブロードウェイで、最もチケットのとれない作品の一つです。