感覚☆
普段から頑固なのは自覚しているつもりではあるのですが、、
曲創りに関しては、自分でも手に負えないくらい頑固です。
助言いただいて、おおー!頂き☆とありがたく感じるときと、
なんかもう、全身がかゆくなって気持ち悪い、変えないでー!となる時が、
見事ハッキリしているのです。
嫌な時は、頭で整理したり言葉にして説明することができず、まるで赤ん坊みたいだけれど全身ジタバタしたくなる、、、
それは、無知から来るものなのだと思ったり、傲慢なんじゃないかと思ったり、視野を広げようとおもったり、受け入れよう受け入れようと、 一旦忘れてみたり、時間を置いてみたり。
そのうちに、やはり幾つかは、
おおー!そうか、頂き☆
となるものと、
やっぱり、やっぱり、かゆいー!!身体がひん曲がるー!!
と分かれていき。
無知で、表現できていなかったものを引っ張り出してもらったときと、
新たな事でも、プラスのことなら大丈夫なんだろうな。
ただ、自分でもよく分かんないけれども、
メロディーてのは、やっぱり、創るものではないんだと思うのです。
誰かや、自然や、なんかいろんなものからもらったプレゼントなんだろうな、て思っていて。
そのでっかい、ぶっとい部分は
譲れない。
それは、今たまたま旋律になってんだけど、きっと、それ以前の事で、腹のなかにある。
それが何かの拍子で、小さなことでも崩れると、気持ち悪いんだろうな、て思うんです。
私は、何事につけ、自分にこのかゆくなるスイッチとかが無かったら、もっともっと、生きやすくなるんだと思うことが本当に多い、面倒な人間です。
でも、何か創るときには、かえって、大切になる感覚かもしれない、と思いました。
センスのいい音楽、悪い音楽とか、私はよく分かりませんが、
例えばお米を食べて育った人と、パンを食べて育った人、
日差しが多い地域と雨ばかりの地域で育った人
音楽が違って当たり前だし、それぞれがとても素敵だと思う。
口で言うのは簡単です。
やっぱり腹の中のことを、少しでも表せるように、勉強しなきゃいけないんだな、て改めて思うこの頃です。
もちろん、演出家などがいて、創る時は全然違うと思っています。
創りたいものの未来を担ってる方が、こうだよ、て方向性を示しているのに、抗うのは全然違う。
でもやっぱり、変えて、と言われた時、私の場合、音符とにらめっこしても、全然変えることができないことが多いです。
感覚を全然変えて、あ、そうだ!て腹に落ちると出来る。
赤と思ってたけど 青だったんだー!みたいなことが、わかった時、メロディーが変わります。
やっぱり、めんどくさい、、、
そう考えると、どんな曲も、詩を書いた方や、メロディーを書いた方からのプレゼントみたいなんだなあ。楽譜って手紙に似ているなあと、最近よく思います。
古い曲なら、何百年前の方からのお手紙なんだなあ。
だから、歌わせていただくときも、大切にしたいです。