そして横浜市歌

さて、ドイツに留学した鴎外が、オペラに及ぼした影響はお話しましたが、横浜と鴎外といえば、やはり、横浜市歌です。


横浜市民は誰でも歌えるそうですが、よそものの私は、全然知らなかった歌。

横浜開港50年を記念して作られたこの歌に、なぜ鴎外が歌詞をつけたのは、長いこと疑問でした。もちろん、文豪として当時から名高い鴎外に、お話がいったといえば、そうなのですが…

実は、舞姫でもありますが、鴎外にはドイツで恋に落ちた女性がおり、鴎外帰国ののち、日本に追いかけてきています。家族の説得により、彼女はドイツに戻ってしまうのですが、彼らは、生涯、お互いを大切に思って暮らしたそうです。このお話は、実はじっくりお話したいので、またの機会に。

どちらにせよ、鴎外自身も彼女も、横浜からドイツへ、ドイツから横浜へとやってきたのです。横浜が、重要な思い出の場だったわけですね。


さて、明治の気風もあり、軍歌のような横浜市歌ですが、2003年、横浜在住のブルース歌手、中村裕二さんが、ブルースのメロディをつけられました。

2つのメロディが生まれると、歌詞にこめられた思いがよりはっきりしてくる気がします。

ロック・ザ・フィガロも、既存のものを、新曲や別のストーリーも交えて作っていきます。乞うご期待(≧∇≦)

さてさて

もともと、オペラも、歌舞伎も、進歩的で庶民のものだったのが、古典となり、難しいもののように感じられる。でも、ロックが出てきたときと、きっと同じような感じだと思う。

とくに、フィガロの結婚は、それまでのオペラとはちがい、庶民が主役の画期的な作品だったそうです。日本では、上演は遅く、第二次大戦後になるのですが、、、

今回は、お稽古中で、私自身も疑問だったことを特集してみました。

これから、お芝居稽古が本格的に始まると、がっつり絞られ、頭より感性を使わなければなりません。なので、ちょっとした、その前の武装と予習にお付き合いいただいてしまった感もありますが、、

ありがとうございました!!